活動レポート

山折哲雄 × 上田紀行 第5回 知識はあるが勇気のない、日本の「人格者」

山折座長と対談していただく2人目の有識者は、宗教学者で東京工業大学教授の上田紀行氏です。5回に分けて教養と宗教の関係について語ります。今回は、第5回[最終回]です。 ※ 対談(その1):教養の出発点は、「日本人とは何か」 ※ 対談(その2):日本人の「心イズム」とは何か? ※ 対談(その3):西洋に深い影響を与えた、日本人リーダー ※ 対談(その4):西洋は「信じる宗教」、日本は「感じる宗教」 img_01

日本人が自信がないのは、頭の中が日本ではないから

上田:ダライ・ラマと話をしたときに、「日本人がみんな自信がないのは、自分の頭の中が日本じゃないからでしょう?」とズバッと言っていました。成功しても、自分の頭の中は日本ではないから誇りが持てなかったり、二流の西洋人の中で成功した人というふうになってしまう。 山折:外から見ると、はっきり見えるわけだね。 上田:ただ、ダライ・ラマの場合は、「西洋のリベラリズムや論理的なものと、日本古来のものを両立させて、それをミックスしていくところに日本の使命があるのであって、単なる伝統回帰ではないだろう」と言っています。 日本はこれだけ西洋化して、西洋のものをうまく取り入れているのだから、ぜひ21世紀文明で「和魂洋才」とかそんな二枚舌ではなく、どういうふうにしていくのかという使命があなたたちには問われている、ということだと思うのですけどね。 山折:それをあなたのように二枚舌と言うか、もう二重構造はわれわれの宿命と考えるか。ここですよ。私はやっぱり二重構造を受け入れていく以外にないと思う。あなたの言葉で言えば、複線化。複線化に戻すことは絶対に必要だと思う。複線化した場合に何が基軸になるか、それが大事なのだ。 ただ、2本の線を並べるだけではダメだよね。そこに価値観や教養の重要な問題が出てくる。それと大学を大改革する以外にない。 上田:そうですね。一方では大学がますます西洋的な意味での競争に走ろうとしています。つまり「世界大学ランキング」をいかに上げていくか。そのために秋入学にして外国人にも門戸を開こうと。 開いていくのはいいのですが、そこでまたぞろ、ランキングの評価を上げていくことだけを金科玉条のごとくやるのは、結局、二流の西洋人を目指していくことになりはしないか、というのが懸念されます。

末法、終末の体験が起死回生のエネルギーを生み出す

山折:ひとつの提案は、これ、危険なんですけどね。「科学は国を越えるけれども、科学者は国を越えることはできない」とよく言いますが、科学も科学者も国を越えてしまったほうがいいのかもしれない。完全なグローバリゼーションですよ。そうすると危機感が深まる。 上田:確かに深まります。 山折:そういうところまでいかないと、逆に自己自身に本質的な視線が向かわない。それは西洋では世紀末という形で経験してきている。終末論と言ってもいい。 われわれにはかつて末法論があった。末法思想というのは、まさに13世紀だったわけです。それが起死回生のエネルギーを生み出した。やっぱりいくところまでいって、新しい末法、終末を体験しなければ気がつかない。 上田:1945年に体験したんじゃないんですかね。 山折:あれは結局、救われたんですよ。天皇制も救われたし、新しい民主主義という価値観が入ってきたし。そして経済発展でしょう。お隣の朝鮮戦争をバネにして、うまいこと救われちゃったんだ。 上田:もし朝鮮戦争がなかったら……という話をしても無意味ですが、もう少し終末が長引いていたら、どうにかなっていたかもしれないですね。 山折:そう。あのときの飢餓世代が。それで少し持続力がついた。われわれの世代だけどさ。 上田:やっぱり神風が吹いているんだなあ。いや、神風と言ってはいけないですが。

日本が南方文化圏の同盟を組むという構想

山折:日本列島がちょうどいい地政学的な位置にあったということか。最近、私は日本の文化を支えている2つの柱があると言っている。ひとつは、中国文明の影響を受けた儒教や価値観に基づく階層社会、階級社会、氏族社会。それがずっと政治の中心を担ってきた。平安貴族政権、鎌倉・江戸の武家政権ね。
山折哲雄(やまおり・てつお)    こころを育む総合フォーラム座長  1931年、サンフランシスコ生まれ。岩 手県花巻市で育つ。宗教学専攻。東北大学文学部印度哲学科卒業。駒沢大学助教授、東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教 授、同所長などを歴任。『こころの作法』『いま、こころを育むとは』など著書多数

山折哲雄(やまおり・てつお)
こころを育む総合フォーラム座長
1931年、サンフランシスコ生まれ。岩 手県花巻市で育つ。宗教学専攻。東北大学文学部印度哲学科卒業。駒沢大学助教授、東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教 授、同所長などを歴任。『こころの作法』『いま、こころを育むとは』など著書多数

もうひとつは、黒潮に洗われた南方文化圏の影響です。これに司馬遼太郎がずっと注目している。薩摩がそう、土佐がそう、瀬戸内がそう、房総がそう。この辺に中央の文化圏とは違ったすごいリーダーが出ています。西郷隆盛、坂本龍馬、高田屋嘉兵衛、そして日蓮……。これは、黒潮文化圏と呼べるだろう。 この黒潮文化圏の文化意識、あるいは政治意識が、中央の階層的な儒教的氏族社会に異議申し立てをした。これが明治維新なんですよね。 そうすると、われわれが今、やはり考えなければいけないのは、中国・韓国に対して、南方文化圏を結ぶ文化の同盟を組むこと。沖縄から台湾、インドネシア、インドにいたるまでの帯状の文化圏は、仏教文化圏でもある。柳田邦男が『海上の道』(岩波文庫)で言っていることとも重なる。そういう構想はどうかね。 上田:楽しいです。私、南方が好きですから(笑)。それはある種、目に見える秩序と目に見えないエネルギーのどちらを、生き方の中心に据えるかという問題でもありますね。氏族とか長幼の序とかの秩序を重んじ、科挙から受験戦争に至るまで序列づけの秩序にこだわってきたわけだけど、それだけでは元気が出なくなってしまったわけですよね。やっぱり、こっちのほうが楽しそうだとか、沸き立つようなものの欠乏があるのかもしれない。そこで南方的なものの復権が求められていると。 また、最初の話に戻りますが、「三無主義」「スクールカースト」「サトリ世代」なんて言って、早く悟っちゃうのは面白くない。もう一発、エネルギーを高めたところで悟らないと。 山折:ただ、私は冷めた「サトリ世代」に、もしかしたらという希望があるんですよ。金儲けなんかどうでもいい、ブランド品にも目を向けない、車も乗らなくていいや、恋愛に対して淡泊というのはようわからんが、そういうものが無用の世界から隠者的な連中が出てくる。 13世紀以降、隠者の文学、隠者の思想がだんだん出てきた。ある時代には青テント世代、バックパッカーがそうだった。そういう連中が、何か新しい価値観を生み出してくれるのではないかという期待があります。

「サトリ世代」は社会をよくしたい

上田:「サトリ世代」は人にはむちゃくちゃ優しいですよ。それと、すごく両極化している。パワーはあまり感じない子と、ボランティアや社会起業をしてやたら貢献したがり、金儲けはつまらない、それだけじゃ面白くないという子。
上田紀行(うえだ・のりゆき)   東京工業大学リベラルアーツセンター教授 文化人類学者、医学博士。1958年、東京都に生まれる。東京大学大学院文化人類学専攻博士課程修了。愛媛大学助教授を経て、東京工業大学大学院准教授(社会理工学研究科価値システム専攻)。2012年2月より現職。『生きる意味』『かけがえのない人間』など著書多数。

上田紀行(うえだ・のりゆき)
東京工業大学リベラルアーツセンター教授
文化人類学者、医学博士。
1958年、東京都に生まれる。
東京大学大学院文化人類学専攻博士課程修了。
愛媛大学助教授を経て、東京工業大学大学院
准教授(社会理工学研究科価値システム専攻)。
2012年2月より現職。
『生きる意味』『かけがえのない人間』
など著書多数。

この前、MITのスローンという有名なビジネススクールに池上彰さんと一緒に行ったときに、日本のいろんな企業から派遣されてきた人や、個人で留学した人と食事をしたのです。 MBAを取りにいく人たちの私のイメージは、20年ぐらい前のメンタリティを持った人でした。つまり、「日本にいたら同じ給料でコツコツ働かないといけないけれども、米国でMBAを取ったら億万長者になって、あとは遊んで暮らす」みたいなカネの亡者です。 でも、そこにいるほとんど全員が、「この社会をよくしたい」と思っていた。日本の企業にいて、毎日、与えられた仕事をやっていても世界をよくしていくことにはならない。ビジネスで成功はしたいが、まずは世界に変化を起こしてよくしていきたいんだと。 日本の企業では何をよくしていくか、よくしていくとは何なのかが問われていない。MITスローンに来たらそれがわかった。ここに立つと、世界を上から俯瞰しているようで、ここでこういう問題が起こっていて、これを変えたいというのが見えてくると。そういう人たちが集まっているのです。それはある種、さっきの南方的生き方ですよ。企業といった秩序のために行動するというのではなく、大海原から世界を見晴るかして行動するという。 たぶん、出来のいい人たちなんでしょう。違うビジネススクールでは、今でも金儲けしか頭にない人たちがたくさんいます。でも、MITスローンの人たちは、カネよりもとにかくビジョン。そして、みんな20代でした。そういう世代が現れているんだなあという印象を強く持ちましたね。 山折:ハーバードのイェンチン図書館に行ったときに、私はビックリ仰天しました。日本を中心としたアジアに関する文献がほとんどそろっている。あの膨大な文献をそろえているだけでもたいへんなエネルギーです。あそこに行けば、検索の仕方によっては全世界が見える。やっぱり、そういう場所を米国の大学はつくっていますよ。日本の場合、たとえば東大と比較しても、比じゃないような気がするな。 上田:先生、日文研のトップだったでしょう(笑)。日文研はそういう場所なんじゃないんですか? 山折:あそこは日本の文献だけです。世界の文献はそんなにそろっていない。わずか200年の歴史しかない米国が、あれだけの図書館をつくるというのは、いつも世界を見ている、そういう緊張感に包まれた200年間だったんだろう。 上田:日本はまだまだ着目される国であるにもかかわらず、日本人がいちばん日本人の潜在性に着目していないんですよね。 山折:そう。日本の文化、日本の価値観というものに。 上田:ただ、人文系の研究者は、本の虫になって自分でコツコツ研究していればよくて、それ以上の志を持っていなかったというのも、厳然としてある事実ですね。 山折:古典学は知識や教養の原点です。それが日本の古典学は、インド学や仏教学を含めて冷凍化しているうちに閉ざされていった。古典学が冷凍化したら食えるものじゃないです、そんなものは(笑)。 そして、猿学とテクノロジーと生命科学の挟撃に遭って、人文学の住むところがなくなってしまっている。3つの問いを失っている。 上田:確かに「自分とは何か?」「人間とは何か?」「日本人とは何か?」がわからない人文学って、何のために存続する必要があるのだろう(笑)。 山折:勉強したって、細分化されたつまらない分野の専門家になるだけだし。 上田:これからどうなるのですかねえ。書物は読まれなくなるし。この対談だってウェブに掲載するわけでしょう?(笑)。

「語り」ができる教育者に人文学はかかっている

山折:やっぱり古典学の再編成ですよ。宗教はもちろんそうですが、古典をしっかり読み、書き、理解する、そういうシステムを作るべきです。古典の中にすべてが含まれている。 上田:そうすると、古典を今の若い子たちに示して、読ませる才覚のある教育者がいるかにかかっていますね。 山折:そう、教育者の問題。「読み・書き・語り」ですよ。「そろばん」の代わりに私は「語り」と言っている。語ることのできる教師がほとんどいない。東工大で上田さんぐらいだろう?(笑)。 上田:いやー(笑)。ハーバードやMITでは、本当に語らせる、そして書かせる授業をやっていますよね。東工大の学生にも「これからはコミュニケーション力を高めて、語れるようにならなければいけないし、自分の思っていることは言えなければいけないよ」と言ったら、学生が「はい」と手を挙げて、「まずうちの先生がそれをやってください」と言われてしまいました(笑)。 いや、ホントに、ただ黒板に書くだけの先生もいますからね。さらに今、パワーポイントがあるから、先生は暗闇でただパワーポイントの資料を読んでいるだけだったりする。学生からは先生の顔も見えないし、何かボソボソと言っているなという感じ。パワーポイントは語りの能力をものすごく落とします。 山折:聞くほうも耳を通るだけですよ。やっぱり教養というのは語りと非常に関係がある。これからは講談、浪花節を大事にしなければいけない。われわれの時代は、歴史なんてだいたい講談で学んだ。先生はやっぱり語っていましたよ。 上田:今は先生があまり語りすぎると、評判がよくないですから。 山折:テレビでばっかり語っているからな(笑)。

人文学はイマジネーションが重要

上田:研究者は論文を書いて、それがどのくらい引用されるかで評価されるというシステムですからね。たとえば東工大の場合、人文系の先生は理科系の先生に取り囲まれているので、人文系もその評価システムで勝たなければ、潰されるのではないかという恐怖がある。 でも人文科学というのは、そんなちょこちょこ小さな論文を書く、いわゆる研究者タイプではなくて、学者タイプであることが強みのはず。研究者と学者は違う。それを理科系みたいに小さなポイントを稼いでいくような研究者タイプをたくさん養成して、理科系にも勝とうとすると、自分で自分の首を絞めるようなものですよ。 要するに、ものすごくホリスティック(包括的)で横断的で、この人の言っていることはまゆつばかもしれないけど面白いとか、実証性はないかもしれないけど面白いというのが人文系のよさなのに、そういうホラ吹きみたいなよさを切っちゃうと、イマジネーションを働かせない学問になってしまう。人文学からイマジネーションを取っちゃったら何が残りますか? 海外にはサミュエル・ハンティントンにせよ、フランシスコ・バレーラにせよ、言っていることが正しいかどうかはともかくとして、大きいことを言う人がいますよ。 山折:世界をどう把握するか、そこですよ。それを実証するしないにかかわらず、今、この時点において世界をどう把握するか。これはものすごくインパクトがあるし、それを多くの人は欲している。 上田:そういう意味では、実存主義って、この実存に立つということですよね。まさにここに立って、世界の風をビュービュー受けながら何かやるという感覚。 以前、たしか加藤典洋さんがこのようなことを言っていました。 ラグビーというのはすごいんだ。球を持っているヤツがとにかくオフサイドラインを走って行って、タックルされると、前には投げられなくて、自分より後ろに投げる。で、後ろのヤツが一生懸命走る。 つまり、俺はいちばん先端に立って時代を切り開いて行って、前に進んで行くときのビュービューという風きり音を聞きながら、熾烈なタックルを受ける中でゲームをやっているんだ、という意識がすごくある。それがやっぱり当事者性であり、主体なのではないかと。 その意識がなくて、スタートラインの後ろのほうで、いくら「俺はゲームをやったぞ、すごいだろう」と言っても、やっぱり先頭を走って敵地に行くためにやっているので、その意識を失ってしまうと、すべてのものがダメになるんじゃないかと。

教養に必要なのは、強さと勇気

山折:そのときに大事なのは、やっぱり強さと勇気だろうな。この2つがないと先頭に行けない。 上田:そうですね。先頭に行ったら、みんなが目の敵にしてタックルしてくるわけだから。だけど、そこに立つ。教養というのは、そういう意味では強さと勇気ですよ。 山折:特に勇気は非常に重要だと思う。勇気がなくて知識があるヤツほどつまらないものはない。 上田:教養ある人間は保身には走らない。勇気を与えられないと、学問すればするほど世間がわかって、攻撃されないところに逃げ込んでいく。保身の術に使われちゃったりすると、いちばんつまらないですよね。 山折:それを「人格者」という言葉で表現するわけだな。日本語の人格者というのは曲者(くせもの)でね、何にもしない人間が人格者と言われるんだ。 上田:アハハハハ。先生は毎年のように物議を醸してますからねえ(笑)。最近は皇太子退位論で。 山折:「不敬」と言われたぞ。そんな言葉がまだあるんだよ(笑)。不敬者だ、俺は。しかし、右から左まで、友人たちや教え子たちまで含めて、やっぱり皇室問題というのは、みんなタブー視しているということは痛感した。 上田:教養には強さと勇気が必要なんですよ。人間として太い根を張っているので、少々の風では倒れないぞという。 山折:そうだな。

日本に「鈴木大拙」を10人つくる

上田:昨年、親鸞聖人750回御遠忌で、東西の本願寺合わせて、とんでもないカネが集まったでしょう。600億円ぐらい。ところが教団というのは会議が本当に好きなので、全国から人を集めてやたら会議をする。JRやJAL、ANA、ホテルにいくら献金すればいいんだと、私と対談したご門主もそうとう怒っていらした。 img_04 今はスカイプでインターネット会議もできるし、電話会議もできるのに、大勢集めて会議ばっかりやっているうちに、どんどんカネがなくなってしまう。教団の教務員の人たちはビジネスに疎い人が多いから、何かのイベントをやるたびに電通や博報堂とか、教団御用達のプロデューサーたちに持っていかれて、バカスカバカスカ、カネを取られちゃうと。 そこで私がご門主に提案したのは、たとえばひとりに3000万円使ってもいいから、3億円の予算で10人、ものすごい優秀なヤツを集めて、世界各地の戦争の現場に行かせ、あるいはハーバードやパリ大学に行かせ、10人の鈴木大拙をつくりましょう。そのほうが親鸞さんも喜びますよと。 山折:それはいいですな。 img_05 上田:10人、鈴木大拙が誕生して、ブッシュと会おうが、ミッテランやサルコジと会おうが、「すごいな、日本の仏教は! ここまで語れるのか」とうならせることができたら……。 ブッシュに対して、イラクの空爆はどうのこうのって遠くから声明を出すのではなくて、実際に乗り込んでいってブッシュとやり合う。キリスト教の福音派の人とやり合う。鈴木大拙のように本当に尊敬され、日本を代表する人間を10人つくったら、そうとう変わると提案しました。 山折:そのとおりだ。人材養成、これがいちばんですよ。あらゆる分野に必要なこと。 上田:ところが先生もご存じのように、仏教界は突き抜けようとするヤツを引っ張る組織ですから(笑)。でも本当に今、鈴木大拙が5人でもいたら、宗教界は変わると思うんですよねえ。 山折:ひとりでもいい。 上田:ひとりでもいたらねえ。 山折:京都の祇園に「釈尊」というクラブがあるんだが(笑)。 上田:シャクソン! 恐れを知らぬ名前ですね(笑)。 山折:そこに連れていかれて驚いたよ。きれいどころがダーッと並んでいる。経営者が北海道の浄土真宗の寺の女房なんだ。 上田:坊さんはみんな行くんですか? 山折:行くんだよ。 上田:もうとっくに末法になってるじゃないですか(笑)。 山折:13世紀だ。 上田:でも、一度行って終末を体験してみないといけない(笑)。 山折:今度、案内しようか。 上田:ええ、ぜひ次は「釈尊」で!   (司会:佐々木紀彦、構成:上田真緒、撮影:ヒラオカスタジオ)