活動レポート

山折哲雄 × 上田紀行第3回 西洋に深い影響を与えた、日本人リーダー

山折座長と対談していただく2人目の有識者は、宗教学者で東京工業大学教授の上田紀行氏です。5回に分けて教養と宗教の関係について語ります。今回は第3回です。 ※ 対談(その1):教養の出発点は、「日本人とは何か」 ※ 対談(その2):日本人の「心イズム」とは何か?

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日本は明治維新で複線化をやめ、昭和20年以降に単線化

山折:日本社会が単線化している一方、タイの社会は複線であるとの指摘は、そのとおり。タイの場合、基本的には仏教文明なんですよ。仏教文明というのは、仏教が近代的な文明の中にも入り込み、生活様式の中に入っている。 ところが、同じように仏教の影響を強力に受けながら、日本は仏教文明ではない。日本は徹底した世俗文明です。その違いですよね。 しかし、昭和20年までは日本もたぶん複線構造だった。それを私は「二重構造」と表現してきました。「和魂漢才」は二重構造です。和魂が生活の基軸を成していたにもかかわらず、日本はさっさと仏教文明であることをやめた。いつやめたかというと、明治維新のときです。 そこで単線化が始まるのですが、ベースのところには残し続けた。それは福沢諭吉しかり、松下幸之助しかり、起業家で成功した人はみんな残している。ただ、限りなく単線化に近い形で残していった。完全に単線化したのは、やっぱり昭和20年以降だろうな。

ジャヤワルダナが日本を救うために名演説を打った理由

上田:そうですね。スリランカのジャヤワルダナ大統領(任期1978~89年)がサンフランシスコ講和会議(1951年)のときにスリランカ(当時セイロン)代表として出席しました。当時はまだ若い大蔵大臣だったのですが、みんなで日本の自由を奪おうという雰囲気の中で、ジャヤワルダナが一世一代の名演説を打ったんです。 ブッダの言葉を引用しながら、「私たちは日本に対する賠償請求権を放棄する。ぜひ日本には寛大な措置をお願いする」と。それがすごく感動的な名演説だったので、会議の雰囲気が変わったと言われています。 まあ、裏では日本をどうするかはかなり決まっていたので、その演説だけで雰囲気が変わったというのはどうなのかなとも思いますが。 そのジャヤワルダナは、スリランカでは日本を助けたことで非常に有名で、あのときの恩義を日本人は忘れていないから、今、スリランカにこんなに経済援助をしてくれるのではないかと思っています。 これは笑い話ですが、日本に来て山手線に乗ると、「JR」と書いてある。ジャヤワルダナの名前は、ジュニアス・リチャードという。「JR」です。日本人は恩義を忘れないために、すべての電車にジャヤワルダナのイニシャルを打ち込んでいるんだとスリランカ人は勘違いする(笑)。それぐらい、日本を助けたジャヤワルダナの話を知っているのです。 では、ジャヤワルダナがサンフランシスコ講和会議で語った演説を読みますね。
「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」というブッダの言葉を私たちも信じます。これはビルマ(現ミャンマー)、ラオス、カンボジア、シャム(現タイ)、インドネシア、セイロン(現スリランカ)を通じて中国、日本にまで広まって、共通の文化と遺産をわれわれは受け継いできました。
この会議に出席するために途中、日本を訪問しました。その際に私が見いだしたように、 この共通の文化はいまだに存在しているのであります。そして、日本の指導者たち、すなわち民間人のみならず、諸大臣から、また寺院の僧侶から、私は一般の日本人はいまだにあの偉大な平和の教師の影響を受けており、さらにそれに従おうと欲しているという印象を得たのであります。
われわれは彼らにその機会、つまり彼らにまた仏教を推し進めるという機会を与えなければいけません。だから、日本をゆるそう!
  ……こんな演説を打ちました。サンフランシスコ講和会議に行くときに、直通でサンフランシスコまで飛べないので、日本を経由して行った。そのときに誰に会ったのかが問題です。どうも鎌倉に行ったらしいのです。 そして、ジャヤワルダナが1979年に再び日本を訪問したときに、日本の恩人だということで宮中の晩餐会が開かれました。1951年からもう30年近く経っていましたが、ジャヤワルダナ大統領は天皇陛下の前でもう一度、こんなスピーチをしています。
あなたたちは戦争が引き起こした惨事に苦しんでいました。いくつかの都市は完全に破壊され、東京も半分以上が破壊されていました。私はいくつかの寺を訪ねて仏教指導者たちと会いました。私は、当時から禅の世界的権威とされていた鈴木大拙教授とお会いしたことをよく覚えています。
私は鈴木教授に、日本の方が信仰している大乗仏教と、私たちが信仰している小乗仏教はどう違うのかを尋ねました。すると教授はこう言いました。なぜあなたは違いを強調しようとするのでしょうか。それよりも、私たちはどちらも仏法僧を護持することで共通しており、無常、苦、無我を悟るための八正道を信奉しているではありませんか。
私は日本の仏教徒とスリランカの仏教徒を結びつける強い絆があることを感じました。
  ……ジャヤワルダナは鎌倉で鈴木大拙やお坊さんたちに会って、ものすごく感動したのです。それでこの仏教の伝統を絶対に消してはいけない。われわれは仲間なんだと演説を打ったんですね。 そこで、私がまず言いたいのは、外国の大蔵大臣や大統領を感動させられる宗教人が、当時の日本にはいたということです。 ところが、これにはもうひとつオチがありまして、ジャヤワルダナのスピーチの続きです。
私が1968年に再び日本を訪れたとき、あなた方は以前と変わって物質的にとても繁栄していました。今日では日本国民は奇跡の復活を遂げ、国は富み、経済的には世界をリードする国のひとつとなりました。
しかし、私たちが知っているように、それだけが文明ではありません。私たちの周りにある、人によって建てられた偉大な建造物がひとかけらもなく消え去ったとしても、私たちがちょうど28年前に、サンフランシスコにおける演説で引用したブッダの言葉は、人々に記憶されていることでしょう。
ほかのあらゆる国々と同様に、日本においても壮大な権力がその必然的な終わりを迎えたとしても、あなた方の寺院から広まった理想や、あなた方の僧侶が実践した瞑想と敬虔な言葉は記憶され、そして、来るべき世代の人類の型をつくっていくことでしょう。
  ……これは皮肉を言っているのです。日本はこんなに発展したけれど、あのときの鈴木大拙の言葉は生かされているのかと。 実はジャヤワルダナはこのときにもう一度、日本の代表的なお坊さんたちと会って話をしたいと言って、その会合が持たれました。
上田紀行(うえだ・のりゆき) 東京工業大学リベラルアーツセンター教授 文化人類学者、医学博士。1958年、東京都に生まれる。東京大学大学院文化人類学専攻博士課程修了。愛媛大学助教授を経て、東京工業大学大学院准教授(社会理工学研究科価値システム専攻)。2012年2月より現職。『生きる意味』『かけがえのない人間』など著書多数。

上田紀行(うえだ・のりゆき)
東京工業大学リベラルアーツセンター教授
文化人類学者、医学博士。1958年、東京都に生まれる。東京大学大学院文化人類学専攻博士課程修了。愛媛大学助教授を経て、東京工業大学大学院准教授(社会理工学研究科価値システム専攻)。2012年2月より現職。『生きる意味』『かけがえのない人間』など著書多数。

ところが、そこに集められた各宗派のトップのお坊さんたちがどうしようもなかった。ジャヤワルダナが仏教的な話をしても全然答えないし、宗教性のかけらもなくて、それはそれはひどい会合だったという話です。終戦後の緊張感も失われ、仏教で衆生の苦しみを、世界の苦しみを救っていこうという、熱き宗教心もなく、自分たちは宗派のトップに上り詰めた高僧で、日本はどんどん豊かになり、何も問題ないじゃないかという、人間として緩みきった姿しかそこにはなかった。 ジャヤワルダナは、28年前には鈴木大拙の話を聞いて感動したのに、日本はいったいどういう国になってしまったのかと。あのとき、皇居の周りは焦土と化していたけれども、仏教の精神性はあった。しかし、今は立派なビルが建ったのに、いちばんトップのお坊さんたちはこんなに堕落してしまったのかと愕然としたらしい。それでこの演説をしているわけです。 ということは、やっぱり昭和20年にはまだ複線があった。けれども、坊さん自らカネが儲かればいい、檀家さんからカネが入ってくればいい、そして自分の地位が上がっていけばいいというふうになってしまった。まあ、そうでないまともな坊さんもたくさんいますが、宗派のトップに上がっていくような坊さんは、意外とそういう俗物タイプだったりもするので、日本人はそれを見てますます信仰心をなくしていった。宗教が世俗化して、カネがほしいからやっているんでしょう? 戒名をつけたり、いろいろして儲かるからやっているんでしょう?と。 少なくとも都会においては複線の1本が崩壊して、単線化しました。

西洋人に最も深い影響を与えた日本人リーダーは誰か

山折:20年前、日文研の仕事でロンドン大学に行ったときのことです。英国人に「明治以降、日本のリーダーたちが欧州に来て書物を書いて、中には大きな影響を与えている人もいるが、最も深い影響を与えたリーダーをひとりだけ選ぶとしたら?」と聞かれました。
山折哲雄(やまおり・てつお) こころを育む総合フォーラム座長 1931年、サンフランシスコ生まれ。岩手県花巻市で育つ。宗教学専攻。東北大学文学部印度哲学科卒業。駒沢大学助教授、東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教授、同所長などを歴任。『こころの作法』『いま、こころを育むとは』など著書多数

山折哲雄(やまおり・てつお)
こころを育む総合フォーラム座長
1931年、サンフランシスコ生まれ。岩手県花巻市で育つ。宗教学専攻。東北大学文学部印度哲学科卒業。駒沢大学助教授、東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教授、同所長などを歴任。『こころの作法』『いま、こころを育むとは』など著書多数

新渡戸稲造、内村鑑三、岡倉天心、和辻哲郎、丸山真男……。浮かんだ名前を口にしながら誰を選ぶか逡巡していたら、相手が「鈴木大拙だろう!」と言った。 「今、あなたが挙げた人たちは、だいたい首からの上の影響だ。しかし、鈴木大拙はわれわれ西洋人の感性にまで深い影響を与えた」と言う。それはそのとおり。実績を見れば一目瞭然です。 ところが日本国内ではどうか。鈴木大拙と同じ地域に生まれた西田幾多郎と比較すると、いまだに日本の教養はまず西田哲学から学ぶというのが前提です。日本人は、鈴木大拙から学ぶという知恵の獲得の仕方はほとんど持っていない。上田さんがおっしゃるとおり、鈴木大拙を外国人は非常に高く評価している。日本人が評価していないのだ。 なぜそうなったかが問題です。大学の教育と大学の研究が非常に深くかかわりがあると私は思っている。 戦後、日本の学問の中でいちばん世界的に知られる学問のひとつが猿学、類人猿研究です。猿を見れば人間のことはわかるという状況になってきている。 それからもうひとつはテクノロジー。ロボットがそうだし、人工心臓がそうだし、もうあらゆることが工学的につくられるようになった。 猿学とテクノロジーが異常に発達することによって、人文学的領域がどんどん狭められていった。猿学とテクノロジーのほうでほとんどのことは説明されてしまうわけです。それが今日のわが国における人文学の低迷の重要な原因だと私は考えている。 さらに生命科学が発達してきて、遺伝子研究が盛んに行われるようになり、人間が「ヒト」になってしまっている。「ヒト」が限りなく「モノ」に近くなっている。 猿学、テクノロジー、生命科学。この三者に挟撃されて人文学はもう気息えんえんです。全然つまらないし、何もできない状況になっている。 教養というのは人文学を太らす以外にないんです。ところが大学の大改革をしなければ、この構造を変えることはできない。

日本を代表する顔がいない

上田:今、最後の逆襲が始まっているわけですね。人文学はここで死に絶えて絶滅種となるのか、もう一度、浮上するのか。 結局のところ、日本人の中で尊敬される人間はいるのかということになります。たとえば、鈴木大拙に会ったら、その人間の大きさに感動する。年収だとか業績だとか数字に仮託しないでも、「うわっ、これはすごい人間に出会ってしまった!」みたいな人物が日本にいるのかどうなのか。 山折:戦後は経団連の会長なんていうのは日本の顔でしたね。しかし、今の経団連の会長は日本の顔なんかにならない(笑)。そういうのがどの分野でもずっと続いていますよ。 日本を代表する顔がいない。政治家でいるかというと、小泉さんぐらいかな。中曽根、小泉あたりでもう終わっている。学問の世界、教養の世界に日本を代表する顔がいるかというと、いないねえ、やっぱり。 上田:そうなんですよ。この前、「有名な坊さんっていったい誰なんだ」と仲間内で話をしていたのですが、いちばん有名なのは瀬戸内寂聴さん。2番目が玄侑宗久さんではないかと。3番目になると、もう誰も名前すら思いつかなくて、誰かが「織田無道」って言ったんです(笑)。織田無道、ご存じですか? 山折:知らない。 上田:ほら 昔、テレビ番組でおはらいみたいなのをやってて、最近は不動産屋と組んで詐欺で捕まった(笑)。もう、まともな坊さんは2人しか出てこないのです。で、その2人は作家でしょう。宗教者として名前を知られている人がひとりもいないというこの状況は、やっぱり不毛だと思いますよ。本当にそれに値する人がいないのか、値する人はいるが、宗門の中で偉くならないから出てこないのか。 山折:瀬戸内寂聴は宗教者の代表ですよ。ただ、仏教界は彼女を内面的に軽蔑しているけどな。私は客観的に瀬戸内さんの仕事は立派なもんだと思う。 上田:私も瀬戸内さんと対談させていただきましたが、あの枯れてない欲望がすごいですよね(笑)。 山折:若者相手に「恋と革命だ」と言うんだから。悟りなんて説いてないよ(笑)。 上田:ハハハハ。いかに悟らないで生きていくか、それでいいのだということですよね。 山折:それでいい、それでいいよ。 上田:やっぱり瀬戸内さんのすばらしいところは、会って励まされることですね。すごくエンパワーされる。 山折:そうそう。 上田:日本の大多数の宗教者って、何でキレイなことばかり言うだけで、まったくエンパワーされないのか。それでも今度の東日本大震災で日本の仏教界もちょっと目が覚めたところがあります。数多くの僧侶が現地に行って、逆にそうとう無力感に打ちひしがれて、こんな仏道を説いていて大丈夫なのかということに直面した。それでも坊さんをやるんだという人がかなり現れてきたので、すごくいいことなんじゃないかと思います。   (司会:佐々木紀彦、構成:上田真緒、撮影:ヒラオカスタジオ) ※ 続きは次週掲載します