活動レポート

竹内洋さんとの対談をめぐって  山折哲雄座長に聞く

対談をめぐって山折哲雄座長に聞く   山折座長インタビューによる対談のポイント解説、第3回は竹内洋先生との対談です。 <対談の内容は下記からお読みいただけます> 第3回対談:竹内洋先生 (連載)第1回 第2回 第3回  

竹内洋さんとの対談をめぐって  山折哲雄座長に聞く

社会学者・竹内洋・京都大学名誉教授との対談を、山折座長に振り返ってもらいました。 ポイント解説第3回  「早いもんですなあ。もう10年になりますか……」 山折さんが座長を務める「こころを育む総合フォーラム」の活動は、今春で10年目に入った。「十年一昔」を、新明解国語辞典は[その環境に漫然と浸っている限り十年間も短くまた変化に乏しかったようにも感じられるが、世の中をよく観てきた人の眼からすれば、どの十年間にも何かしら変化の観察されることが多い]と説明している。 同フォーラムは「社会の出来事を見ていると、日本人の『こころ』は危機的な状況になっている。打開する道はないか」という共通の認識を持つ各界の有識者16人(現在は19人)によって始められ、これまでに33回のブレックファースト・ミーティングを積み重ねてきた。国民に向けた提言の発表をはじめ各地でシンポジウムを開催し、全国の「こころを育む活動」の発掘・表彰を行うなど、「十年一昔」を地で行く着実な運動を展開中だ。最近では座長と有識者会議メンバーによる11の対談(「東洋経済オンライン」で連載中)にも力を入れていて、その内容はこのホームページでも随時お伝えしているが、反響はかなり大きい。鷲田清一さん、上田紀行さんに続く3人目の対談相手に選ばれたのが竹内洋さんだ。 「社会学者の竹内さんとは、メンバーに加わっていただくずっと前から面識がある。年齢は僕より11歳若いそうですが、戦後知識人論などについて互いに齟齬のない意見交換が出来たというのが全体の印象です」 日本の教養と知識人をテーマにした今回の対談で、山折さんはまず「日本回帰」の問題を取り上げた。欧米の思想や教養を身につけた人たちが、それぞれの遍歴を経て最後は日本的なものに戻ってくるのはなぜか。土居健郎、鈴木大拙、南原繁、丸山眞男、吉本隆明……実に多彩な顔ぶれが俎上に載せられる。「後世に残る自身の作品」を問われた南原が、専門分野の膨大な著作ではなく「歌集」を挙げたというエピソードなどを介して、山折さんは「近代日本の教養の基礎は、短歌的リズムだったのではないか」という持論を述べた。補足して次のようにも言う。 「南原の『歌集 形相』は、和歌としては素人の域にとどまるかもしれませんが、うまい下手ではなく真情の吐露がある。戦没学生の手記集『きけわだつみのこえ』は息子に先立たれる親心を推し量るような和歌で結ばれたものが多く、戦争とは何かに苦悶したドイツの若者の手記と対比した唐木順三の批判があります。詩人・小野十三郎などは七五調を『奴隷の韻律』と評した。でも、僕は日本人の『こころ』を考えるうえで5・7・5・7・7というリズムは忘れるわけにいかない要素だと思うんです」 竹内さんとの対談で、次に話題になったのは日本の論壇の実情だ。2012年に読売・吉野作造賞を受賞した竹内さんの『革新幻想の戦後史』(中央公論新社)は、戦後の進歩的知識人と彼らを支えた左翼的雰囲気を実体験も交えて批判的に論じたものだが、著者の予期に反して正面切っての反論や批判がほとんど聞かれなかったという。論争をしないでシカト(無視)するという情けない日本の論壇には警鐘を鳴らすべしという点で、二人の意見は一致した。批評・批判の手本として、山折さんが挙げた例は「小林秀雄流」と「鶴見俊輔流」だ。前者は批評対象の最も優れたところを(上手に)褒めること、後者は「相手を刺す前に己を背中から刺す」こと。この2つの批評スタイルが今の論壇ではどちらも失われている、と考える。 3つ目の論点は、日本のエリート教育やリーダーの育て方に欠けているものは何かという問題。山折さんによると、日本の近代知識人が持つ教養の頼りなさは、目や耳で得た知識を嗅覚や触覚など動物的な感覚で捉え直すということをせず、観念的な知識だけで満足しがちなことと関係がありそうだ。竹内さんが「リスクをゼロにするというのはあり得ない発想なのに、今は何か起きると『絶対に再発させてはならない』と言う。あれは何ですかね」と問いかけ、山折さんは「他人事だからです。100%の安全・安心などあり得ないことは分かりきった話で、『わが事』となればそんなことは言っていられない。かつての常識的な感覚が本当の教養だと思いますが、その感覚がなくなってきているように思います。メディアも――新聞の社説なんか、その典型ではありませんか」と応じた。 教育や政治、あるいはボランティアの世界でも、日本では「自己犠牲」という考え方が非常に希薄になっている。社会奉仕と言いながら結局は余力でやっていて、自分をいかに犠牲にするかという基本的な観点が弱い。……山折さんの言葉に、竹内さんは何度も深くうなずきながら耳を傾けた。小中学校で「暗記」や「音読」が顧みられなくなっていて、和歌のリズムのような伝統が戦後日本の知的な教育から切り離されてしまったことが災いしている、という点でも二人の意見は一致した。 山折先生イメージ 今回の対談では、こんなやりとりもあった。「竹内さんのお話はいつもユーモアがありますね(笑)」「それは、大阪の大学で長くやっているとそうなりますよ」「本当にその通り」。大学で講義をしていて笑いが起こると、東京から来た先生は「何か変なことを言ったか」と反省するのに対して、関西の先生は「学生に受けた」ことを素直に喜ぶ。山折さんは、国際日本文化研究センターの先代所長を務めた故・河合隼雄さんの言葉や表情を思い出しながら“ユーモアの功徳”とでもいうべきものを再認識したようだ。「竹内洋という人は、ひとことで言うと『ソフトな関西人』ですなあ」 竹内さんは新潟県生まれだが学生時代から京都・大阪に研究の拠点を置いてきたし、岩手県花巻市が故郷の山折さんも京都に居を構えて久しい。2人とも京都人だ。「京都人に3種あり、と僕は冗談交じりですが最近よく言うんですよ。洛中人・洛外人・番外人。順に、京の都の中心部で生まれ育った人・今は市内だが昔は郊外だった土地で育った人・よそから来て定住した人という意味です。東北出身の僕は明らかに番外人で、どうしても関西文化に馴染めないというか半歩遅れるところがある」 この分類によれば同じ「番外人」であるはずの竹内さんと話し合ってみて「ソフトな関西人」を感じたというところに、山折さんの新しい「発見」があるようだ。   (文責・永井一顕)