活動レポート

山折哲雄 × 安西祐一郎 第2回 今の日本人は“情”が欠如している


山折座長と対談していただく4人目の有識者には、慶應義塾大学前学長で、現日本学術振興会理事長である安西祐一郎氏を迎えて、4回に分けて日本の教養と知識人について語ります。今回は第2回です。 ※対談(その1): 愛国心でも愛郷心でもない、日本人の教養

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日本は3層でできている

山折:最近のグローバリゼーションをめぐる議論の中で、私はアメリカの基準に背丈を合わせる方向になびいてしまっているという感じが非常にするのです。アメリカを含めた相対的な世界の中のグローバリゼーションではなく、アメリカになんでもかんでも背丈を合わせてしまう。それはやっぱり真っ先に経済というものが最初に、真ん中にありますから、そうならざるをえない部分がある。「われわれ自身のアイデンティティの根源にあるものは何か」というところに、なかなか行かないわけですよね。 30年ぐらい前に、電通が面白い企画を立てたことがあります。セスナ機を上空3000メートルに飛ばして、沖縄から宗谷海峡まで日本列島を空撮したんですね。それを1時間に編集し直して、それを7~8人の専門家に見せて、コメントを求められました。 私はそれを見て驚いたんですが、眼下に見えるのは広々とした大海原、太平洋です。ただ日本列島に入ると、行けども行けども森と山しか見えない。それを見て、日本のどこに稲作農耕社会があるんだと思いましたね。多くの教科書では、日本は1000年、2000年の歴史がある稲作農耕社会と書いていますが、それとまるでイメージが違いました。 ただ、そのときにハッと思ったのです。ああ、これは、3000メートル上空を飛んでいるからだ、と。実際、セスナ機を1000メートルに降下させると、そこには稲作農耕社会がずっと展開しているはずだと。さらにそれを降下させると、大東京の近代都市から工場郡がずっと見える。そのとき、「ああ、実は日本列島というのは三層構造になっている」と思ったんですよ。それと同時に、三層構造で日本列島が出来上がっているということは、われわれの意識が三層構造になっているのだと思いました。 日本人は、いちばんの深層意識に縄文的な意識、山林社会的な自然観や世界観が横たわり、それに基づいた、人生観がある。その上の中層に、農耕社会、農業革命を経た後の価値観が積み重なっている。そしていちばん表層の首から上のところに近代的な価値観や世界観が積み重なっている。 戦後すぐに「日本人とは何か」を議論するようなときに、何かあいまいで、キメラみたいな混合物のように言う向きがあったわけです。しかし、そうではなくて、われわれの存在自体が三層構造で出来上がっているからこそ、さまざまな危機的状況に際会したときに、その三層のそれぞれの意識を選択的に引き出して対応することができた。われわれ日本人は、危機管理をする柔軟な意識を全体的に育ててきた民族だったのではないか、そう思うと、変に勇気が湧いてくるんですね。 安西:そうですね。海に囲まれているため、ある意味、温暖で、しかも縦に長いので四季があって寒いところもあれば暑いところもあって、水がきれいですよね。そういう自然に恵まれていて、そのうえに農耕社会があり、さらにそのうえには近代化した都市がある。日本のそういう特徴といいますか、何千年もかかって育まれた原風景から今までの姿というのを、実感として若い人たちに感じてもらいたいですね。 山折:ええ。 安西:ただ、戦後の教育では、こうした視点がほぼ完全に抜け落ちています。私自身、大学改革にかかわっていますが、大学をそうした方向へ変えるのは容易ならざることです。恐竜を動かすようなものです。ただそうは言っていられません。不遜ですが、私は若い世代に幸せになってもらいたいのです。 山折:まったく同感です。 安西:心からそう思っています。世界が変わっている中で、日本人としてのアイデンティティ、というよりも、本当の意味での教養を持つことが幸せにつながる、幸せになることの根幹なのだということを、若い人に実感として知ってもらいたい。そのためには、やはり体験が大事だと思います。

慶應小学校を新設した理由

山折:そうした観点から、先生が慶應の塾長時代に打ち出されようとした政策はどういうものでしたか。
安西祐一郎(あんざい・ゆういちろう)   日本学術振興会理事長 1946年東京都生まれ。慶應義塾大学大学院工学研究科博士課程修了。カーネギーメロン大学人文社会科学部客員助教授、北海道大学文学部助教授を経て、慶應義塾大学理工学部教授。2001~09年慶應義塾長。2011年より現職。専攻は認知科学、情報科学。

安西祐一郎(あんざい・ゆういちろう)
日本学術振興会理事長
1946年東京都生まれ。慶應義塾大学大学院工学研究科博士
課程修了。カーネギーメロン大学人文社会科学部客員助教授、
北海道大学文学部助教授を経て、慶應義塾大学理工学部教授。
2001~09年慶應義塾長。2011年より現職。専攻は認知科学、情報科学。

安西:ひとつは、本当の教養人を小さいときから作るために、慶應義塾に小学校を創りました。小学校レベルの教育機関として現在の慶應義塾幼稚舎ができてから、もう130年以上経っています。それ以来、小学校は新設していなかったのですが、慶應義塾横浜初等部を設立し、2013年4月に1年生が入学しました。 私の志としては、これからの時代に日本で育つ人間としての教養を持ち、グローバル化、多極化していく厳しい世界の中でリーダーシップを取り、人のために尽くせる子どもたちを、あらためて育てていくべきだという思いがあります。 もうひとつは、学生や生徒が「自分でこういうことをやりたい、これからこういう人生を歩んでいきたいから、今こういう人に会って、こういう話を聞いてみたい」という思いをサポートする仕組みを作ろうと思いましたが、これは挫折しました。 たとえば、学生や生徒が将来、弁護士になって社会に尽くしていきたいと思っても、弁護士が毎日何をしているかわからない。テレビやドラマを通してしか知らないわけです。ですからたとえば慶応出身の弁護士を紹介して、弁護士事務所を訪れて、仕事を体験してみる取り組みを始めました。学校側で、「弁護士さんに会えますよ」「芸術家に会えますよ」とメニューを立てるのではなく、生徒のほうから「何をやりたい」と言ってくるのを待つやり方にしました。 山折:それは修士課程ですか? 安西:いえ、学部も、高校、中学、小学校まで含めた塾生全部です。私はやっぱり大学生には、「これから何をしたい」という夢と志を、自分から持ってもらいたいと思うのです。指導教員が「君はこれをしたらどうだ」と指導するのとは違う仕組みを作りたかった。でも、なかなかうまくいきませんでしたね。 山折:ゼミ担当の指導教員は反対するでしょうね。 安西:ゼミとは直接の関係はありません。ただ、世の中の仕事の場が現実にはどう動いているのか知るには、ゼミの外に出ないとわからないことが多いのではないかと思います。 これからの時代に本当に幸せに生きていくためには、自分の心と体から湧き出る主体的なエネルギーがどうしても必要だと思いますが、現実には社会で仕事をするとはどういうことか、知らない学生のほうが多い気がしていました。 山折:ここで、新しいテーマの話をします。先ほどの永山則夫の話と関連しますが、2013年にもうひとつ戦後を代表する凶悪犯罪事件の精神鑑定書が公開されました。それは、2001年3月に大阪府池田市で起きた、宅間守による小学生無差別殺傷事件です。その鑑定を担当したのは、京都大学医学部出身の岡江晃という方で、今、京都府立洛南病院の院長を務めています。岡江先生は『宅間守 精神鑑定書』(亜紀書房)の中で、精神鑑定書を詳しく事後解説しています。
山折哲雄(やまおり・てつお)    こころを育む総合フォーラム座長  1931年、サンフランシスコ生まれ。岩 手県花巻市で育つ。宗教学専攻。東北大学文学部印度哲学科卒業。駒沢大学助教授、東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教 授、同所長などを歴任。『こころの作法』『いま、こころを育むとは』など著書多数

山折哲雄(やまおり・てつお)
こころを育む総合フォーラム座長
1931年、サンフランシスコ生まれ。岩手県花巻市で育つ。宗教学専攻。東北大学文学部印度哲学科卒業。駒沢大学助教授、東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教授、同所長などを歴任。『こころの作法』『いま、こころを育むとは』など著書多数

それを読んでこれまた驚いたのですが、宅間守はあの事件を起こすまで、強姦、傷害、不法侵入などの事件を毎年のように起こしていたそうです。けれども総合的な鑑定結果としては、精神障害とも精神分裂病とも評価できない、そういう結論を出されたのですね。それではどういう診断を下したかというと、これが驚きなのですが、「情性欠如」というものでした。情性というのは、人情の情、情性の欠如ということです。情が完全に欠如した人間だという診断です。 著者は、ご自分の精神鑑定書にもコメントしているのですが、「精神病的な疾患あり」という診断をすると死刑にできなくなる。ただ今日の世間は厳罰主義に傾いている。裁判所も世論を考慮しないといけない状況になっていて、刑事司法と精神治療の狭間に立って、自分は苦しんだと書いています。とすると、「情性欠如」という診断は本当に客観的にそれだけなのかという疑いが、当然、出てきます。ですから私はそれについて、機会があれば岡江先生にぜひ聞いてみたいと思うのです(編集部注:岡江先生は昨年亡くなられた)。

若者より大人に“情性”が欠けている

山折:「情性欠如」という問題は、一般的なレベルで考えても、おそらく日本の教育界全体、大学教育の状況とも、必ずしも無関係ではない。日本の戦後教育には、情の部分がいちばん欠けているのではないかと、何となく私は考えていたからです。知識の教育、受け身の知識を学生たちに授けることばかりやっていて、教師の側はそのことを感性のレベルにまで掘り下げて反省せずにきているし、いまだにその問題については本気でない、人間のあり方について人情の問題の重要性をあまり考えようとはしていない。これは重大な問題だと思うのです。 そんなことを考えるとき、夏目漱石の『草枕』の冒頭の言葉が自然に浮かんできます。 「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ」、この「智」「情」「意」をいったいわれわれはどう解釈してきたのか、ということですね。漱石は本当のところどう考えていたのか。「智」「情」「意」のバランスが取れてればいいということを言っただけなのか……、といったようなことを感じましてね。もしかすると「情性欠如」という問題を、漱石なりにあの言葉で表現していたのかもしれないとまで思うようになりました。とにかく「人情紙の如く薄し」ですよね、現代の社会は。 安西:そうですね。大人は若い人に情が欠如していると言いますが、むしろ私は大人の側に情性が欠如しているような気がします。一般に企業組織でもどこでも、自分の利益になればいいという、そういう感覚が非常に強くなっているように思いますね 今、私は、東京圏の5つの大学の1年生を対象に、企業の人事の方々と一緒にボランティアで授業をやっています。その中には当初、あいさつもろくにできないと言われた学生もいますが、実体験を積んだり、ディスカッションをしたり、いろいろな授業をやっていくと、学生の態度がかなり変わっていくのですね。主体的なエネルギーが湧き出るように、学生が変われる場を作っていくのは、やはり大人の責任だと思います。

合掌、会釈というマナーのよさ

山折:雑談みたいな話になりますが、私は2001~2005年に国際日本文化研究センターの所長を4年間務めました。そのときに初めて経験したことですが、毎年、外国から日本の研究をしに外国人がやってくるときに、所長としてやらなければならないことは、契約書を取り交わすという仕事です。契約書を書いて取り交わして、互いにあいさつするのですが、だいたいは握手なんですよ。 安西:ああ、そうですよね。 山折:欧米社会から来る方はだいたい握手ですよね。今、中国、韓国の方もほとんど握手になりました。ところが、東南アジアやインド圏の方々は合掌なのですよ。私も寺の生まれだし、インドを研究している人間だから、それはわかっているわけですが、それでもあいさつするときに思わず右手がすっと出てしまうのです。「俺はもう日本の本来のマナーを忘れてしまったなあ」という自己嫌悪のため息が出てくるのですよね。 これはまあ冗談半分で言うのですが、たとえ握手をしても、気に食わないことがあったらすぐ左手で相手を殴ることができます。ところが合掌というのは、完全な武装解除のあり方です。そのうえ、気持ちのあり方が違うのですね。合掌も握手もしないで、ただ軽く会釈をするときもある。会釈というの、これは日本人のなかなかいい作法ですね。そういうことをあらためて70歳過ぎてから経験するとは思いませんでした(笑)。 たとえば、慶應義塾大学の入学式や卒業式のときに、正面の壇上で合掌のポーズなんてやらないですよね。 安西:やらないですね。 山折:つくづく合掌というのはいいマナーだなあと思いましたね。   (司会・構成:佐々木紀彦、撮影:今井康一) ※ 続きは次週掲載します