活動レポート

山折哲雄 × 中村桂子 後編 日本人なら、「やまと言葉」を大切にしよう―動詞で考えることで見えてくることがある


山折座長と対談していただく6人目の有識者は、JT生命誌研究館の中村桂子館長です。今回の後編では、「やまと言葉」の重要性について語り合っていただきました。 ※対談(前編): 「わかる」と「納得する」は、まったく違うもの ※対談(中編): 「人文学」の世界、なぜ貧しくなってきたのか

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よく観察すること=「本地尋ぬる」

山折:言葉の問題についてもお話をできればと思います。中村先生が童話作家の山崎陽子さんとお書きになった『いのち愛づる姫』は最高の表現じゃないですか。感心しました。 中村:『堤中納言物語』のなかの「虫愛づる姫君」を読んで、すごいと思ったのです。虫が大好きで観察しているお姫さまのお話。しかも、そこではよく観ることを「本地尋ぬる」と言っています。山折先生に申し上げるのは釈迦に説法ですが、仏教の言葉で「本質を問う」という意味だそうですね。ここで、このお姫様は生命誌研究の先輩だと思ったのです。解説を読みましたら、日本文学に「本地」という言葉が出た最初とありました。 しかも面白いのは、当時、上流階級の子女には当然とされていた眉を剃ることをしない、お歯黒をしない。虫を観察するのに髪が邪魔なので耳かけする。だからとんでもないと非難されています。でも私に言わせれば歯は白いほうがいい(笑)。こんなナチュラリストで合理的なお姫さまが、紫式部と同時代の平安の京都にいらした。ほかの国のその時代を探してみましたが、そういう物語はありませんでした。 山折:最近の研究によると、源氏物語絵巻を書いたのは少女たちが中心だったという説があるんですよ。最近の子供たちに絵を描かせて、その心理的な状況を調べることを専門にしている先生が類似性を発見したのです。ちょっと稚拙なところがあって、人間の捉え方、自然の描き方、色の使い方も、少女の純な目に映った世界だという。
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生命誌研究館に展示されている「虫愛づる姫君」の世界を表す屏風の一部

中村:面白いですね。源氏物語と言えば、2008年は源氏物語千年紀でいろいろな催しがありました。 私のところにも参加のお誘いがあったのですが「私、色恋はダメ」と言ってお断りしましたら、「源氏物語読んだの?」って言われて。「学校で習った程度でそんなことを言ってはいけない」と叱られました。自然描写がすばらしいと言われたので、読みましたら本当にそうでした。
たとえば源氏絵巻の「鈴虫の巻」では、十五夜の月が煌煌(こうこう)と照り、萩が咲いているところが描かれている。女三宮のところに会いにいらっしゃる源氏が、あらかじめ鈴虫を送っておおきになる。鈴虫って今のマツムシだそうですけれど。お2人を主人公と思っていましたが、ここは月と萩と鈴虫が主役ではないかと思えてきました。そこに添え物としてきれいな男女がいるという感じ。だから「源氏は色恋」と言ったのは間違いだったと、反省しました。 山折:それは色恋の究極ですよ(笑)。 中村:しかし日本ってすごいですね。千年前にあんな長編小説ができていたのですから。万葉集もすばらしいですよね。しかもそれを今も読めるし、今もみんなで和歌を作っている。そんな国、ほかにありませんね。

「動詞」で考えることの重要性

山折:源氏物語で言いますと、明治以降、谷崎潤一郎をはじめとして瀬戸内寂聴さんなど多くの方が現代語訳に取り組まれましたが、みんな標準語なんですね。でも本当は京都が舞台ですから、なぜ京都ことばにしないのかという問題がありましてね。これを現代の京ことばに訳した方がいるんですよ。京都の中井和子さんという国文学者です。それを声に出して読むと、それだけで、すっとあの時代に行ける。そういう点では方言といいますか、その土地土地の言葉で表現するということが大事ですね。 大和言葉のすごさは、そういうところに出てくると思います。
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中村桂子(なかむら けいこ)
●JT生命誌研究館 館長。東京都出身。理学博士。東京大学理学部化学科卒。同大学院生物化学修了。三菱化成生命科学研究所人間・自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。1993~2002年3月までJT生命誌研究館副館長を経て2002年4月から同館館長。

中村:それは読んでみたい。実はもうひとつ、「動詞で考える」ことをしています。生命誌研究館には年間テーマがあり、最初が「愛(め)づる」で、それから「生る」「めぐる」「遊ぶ」など生き物らしい言葉で考えてきました。小泉純一郎首相がワンフレーズ政治と言われていましたね。 山折:連体止めね(笑)。 中村:ワンフレーズだと、「生命尊重」となるわけです。これでは「ああそうですか」で終わりです。でも動詞で考えると、蝶が飛ぶ、アリは這う、となる。すると、そこで蝶は何してるの? アリはどうなってるの? と次の問いが出てきます。何かを問うて考えようとしたら、動詞でなければダメということに気がついて以来、ここでは動詞で考えるということにしているんです。 山折:いいですね。名詞止めは、頭の中だけの話ですよ。動詞は暮らし、生活そのものを表しますからね。 中村:名詞の多くは漢語ですよね。でも動詞になったら、ほとんどが大和言葉です。動詞で柔らかく考えていくのは、生き物を考えるのにいちばん適しています。さきほどから山折先生は技術の暴走をご心配なさっています。私もそれはよくわかりますし、考えなければいけないと思いますが、動詞でじっくり考えていると、「できることは何でも勝手にやる」とはなりません。 山折:なるほど。その動詞で考える主体は人間ですが、その人とか人間を表す大和言葉は何かというと、「一人」という言葉です。これは「人」から出た言葉だと思います。「人」という言葉を生み出した考え方の基礎にあったのは「一人」。だから行動する主体は一人。一人を非常に大事にした文化だと私は思うようになりましたね。その一人というのは、平仮名の「ひとり」、一人(いちにん)の「一人」、それから孤独の孤を「独り」とあてる。 一人という言葉が最初にどこに出てくるかというと、万葉集に出てきます。 中村:どの歌でしょう。 山折:柿本人麻呂の「あしびきの 山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」という歌です。人を思いやって一晩待って寝る。思いやるという人間関係が背後にある。これが中世になると、親鸞の『歎異抄』の中に出てきます。「弥陀の五劫思惟の願を よくよく案ずれば ひとへに親鸞一人がためなりけり」というところ。阿弥陀の救済力は万人に注がれる力だけれども、よくよく考えると自分一人にだけ注がれているという意味です。信仰告白ですね。 それが近代になると、福沢諭吉の「一身独立して 一国独立す」の独立。あの独立をわれわれはインデペンデンスという英語の翻訳だと思っているし、その通りだろうけれども、「独り立ち」と読んでいたに違いない。そこにもやっぱり「ひとり」が入っています。

日本文化には「一人」の伝統がある

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山折哲雄(やまおり てつお)●こころを育む総合フォーラム座長 1931年、サンフランシスコ生まれ。岩 手県花巻市で育つ。宗教学専攻。東北大学文学部印度哲学科卒業。駒沢大学助教授、東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教授、同所長などを歴任。『こころの作法』『いま、こころを育むとは』など著書多数。

中村:人麻呂の歌から独立へ繋がっていく。驚きました。 山折:そうするとね、日本の文化の中で、個人ということを考える場合、「一人」の伝統を考えることは必要じゃないかと。これをわれわれは戦後やってきていませんよね。大和言葉の復権のためには、一人と個をどう考えるかが、どうしても必要だと思うようになってきました。 中村:大事な御指摘です。その一人は、いわゆる屹立している個というよりは、もうちょっと柔らかく、自然を含んだかかわり合いの中にいる「一人」のような気がします。 山折:だから虫愛づる姫も、虫と対面するときは一人だったと思いますよ。 中村:なるほど。日本人は個が確立していないなどということはないですね。ただ確立の仕方が西洋とは違うだけで。 山折:それは自然とともに一人でいるわけです。 中村:生命科学と生命誌の大きな違いがそこです。科学の場合は客観性を大事にしますから、すべてのものを外から見る。だけど生命誌は、38億年の生命の歴史をずっとたどって来ると、自分もその中にいるのです。 たとえば、「地球に優しく」という言葉は、自分は生態系の外側にいて、「いろいろな生き物に優しくしてやろう」と言っているように聞こえます。本当はそうではなくて、中にいて、「仲間がいろいろいる」と見回すのです。しかも、地震も起きるし危ないのが地球ですね。中にいるわけですから、偉そうなことは言えません。生命誌と生命科学の違いは、中にいて考えるかどうかです。 山折:広大な自然があって、あるいは生命の広大な流れがあって、その外にいてそれを眺めるのと、その中にいる。それは心の中に自然があるか、心の外に自然があるかの違いですよね。これはすごいことです。自然の中の一人、個人という考え方は、西洋人はあまりしないと思います。 中村:客観と言った途端に外から眺めている他人事になる。そうすると勝手なことができます。中にいたらそれはできません。そこで私は、生き物が語る物語を「聞く」と言っています。生き物たちのことを知りたいと思ったら、彼らの語る物語を聞くために、「教えてください」とそっとお願いする。調べてみないと聞こえないこともあるので調べさせていただく。そういう感じです。 山折:聞くということは非常に大事だと思いますね。語りの前にまず聞く。聞いて初めて語りが始まりますから。こちらにお邪魔して、まず最初に聞いたのが蝶々の羽音でしたね。あれには惹きつけられました。 中村:そうなんですよ。それぞれがいろいろな思いがけないことを語ってくれます。クモもそうでした。クモの研究を始めたきっかけは、クモについてわかっていないことが多いからですが、京大から来た研究者が、汚い実験室の隅に、オオヒメグモが巣を作っていたのをとってきた(笑)。ところがこのオオヒメグモが、とても研究に向いていたのです。運がよかったのですね。 山折:しかしあれは愛づる気にならんなあ(笑)。
中村:いや、かわいいですよ。お見せしましょうか。クモが産む「卵のう」という袋の中に300個くらい卵が入っている。透き通っていてきれいです。この300個が全部一緒に育つのです。よく「蜘蛛の子を散らす」といいますが、この300匹が一斉に育つわけですから、これが研究にいい。生育段階を比べることができる。一緒に生まれた卵を並べておいて、時間差で観察すれば、誕生の経緯を調べられます。

生物研究は人間研究に繋がっている

山折:ファーブルはハチとかアリは研究しているけれども、クモも研究していますか。 中村:クモは昆虫ではないのです。 山折:あ、そうか。じゃあ何ですか、あれは。 中村:鋏角類といって、カブトガニの仲間です。だいたい足の数が違う。昆虫は足が6本ですが、クモは8本。 山折:どちらが進化していますか。 中村:多分クモのほうが先に分かれたと思います。 山折:そうすると、クモのほうが人間の進化の源のほうに近いということですよね。そこまで昆虫や鳥や魚なども含めて研究されているなら、それをモデルにして人間の分析してくださいませんか。きっと面白いことになります。
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「バクテリアから何から、全部人間につながっています」

中村:もちろん最終的には、これはみんな人間につながっていると思いながらやっています。バクテリアから何から、全部人間につながっています。何を研究するときも人間につながっていると思っています。 山折:最近、猿の研究では、チンパンジーは攻撃的だけど、ボノボは非常に平和思考的だとわかったそうですよ。 中村:そのとおりです。ボノボは争いの避け方が巧みで興味深いですね。山極寿一さんが、ゴリラも穏健だと言ってらっしゃいますよね。ゴリラはボスが群れを支配するようなことはなく、平和なんですって。喧嘩しても必ず仲裁が入って、勝ち負けが決まらないそうです。 山折:インドのガンジーさんなんかは、ゴリラかボノボですね。 中村:みんながゴリラとボノボになればいいですね。生き物から学ぶことがたくさんあると認めていただけたら嬉しいです。今日はどうもありがとうございました。
  (構成:長山清子、撮影:ヒラオカスタジオ)