活動レポート

第36回有識者会議 基調講演:羽入佐和子さん(お茶の水女子大学学長)

第36回ブレックファースト・ミーティング ゲストスピーカー 羽入佐和子さん(お茶の水女子大学 学長) 「こころを育む総合フォーラム」の第36回ブレックファスト・ミーティング(有識者会議)が12月17日朝、東京・千代田区の帝国ホテルで開かれた。  この日は、ゲストに迎えられたお茶の水女子大学長の羽入佐和子さんが、「教育のかたち」をテーマに基調報告を行った。哲学・倫理学が専門で、大学の教育改革に取り組んでいる羽入さんは、自身の哲学への関心がどこにあったか、それをどのような形で大学運営に生かそうとしてきたかを説明。その後、日本人の「こころ」と教育のあり方を探る出席メンバーとの間で熱心な質疑応答と意見交換が行われた。羽入さんの報告要旨は次の通り。
 私の個人的な関心は「かけがえのなさ」ということにあった。一人一人が、どのようにして特殊な「個」として存在しうるのか、それが何ゆえに価値を持っているのか。これは哲学で言えば存在の問題であり、また認識の問題であり、同時に価値にかかわる事柄だが、今日は教育と学問のあり方について幾つか紹介し、私どもの大学が取り組んでいる教育改革の一部を紹介したいと思う。  まず、教育のあり方として①スコラ的な教育、②マイスター的な教育、③ソクラテス的な教育の3つがあると言われている。これは私が長年研究してきた哲学者ヤスパースの考え方にあるもので、①は学校で教師が知を伝えるという形。知識が蓄積され、それが正しく伝達されるという教育だ。②は卓越した先人・師がいて、その人を敬愛し尊敬する弟子が学ぶという形での教育のあり方。③は、誰かが誰かに物を教えるということ以上に、対話をしている当人同士が何らかの事柄を明らかにするという過程で、これはソクラテスと弟子たちとの対話を収めたプラトンの『対話篇』が象徴的に出てくる。この3つは、教育の形態というよりも3つの要素と考えるべきかもしれない。  学問のあり方も幾つかに分けて考えられるだろう。デカルトは哲学を1本の木に例えて、「実」に当たる実用的な学問、「幹」に当たる基幹的な学問、そして木を支え養分を吸い取る「根」に当たる形而上学的な学問の3つに区別した。それぞれの部分が十分な機能を果たすことによって、哲学という1本の木が豊かに育つわけだ。彼は『方法序説』の中で、学問には4つの方法があると言っている。①明らかに正しいと思えるものを認めること。②物事を分けて考えること、分析すること。③分析したものを総合し、まとめ上げること。④分析によって見落としたものはないかを見直すこと。私は、このように学問を便宜的に幾つかに分けて考えることが、学問の進歩はどうあるべきかを考える一つの手だてになると考えている。  また、カントは、「人は何を知り得るか」「人は何をなすべきか」「人は何を望むことが許されているか」、これら3つの問いの根本にあるのは「人間とは何か」という問題だという考え方を示している。そして、ものの知り方を「感性」「悟性」「理性」の3つに区分して考える。彼の場合、感性と悟性に対して理性というのは知覚することの困難なもの、知覚や検証の対象にならないものを推論する働きだというふうに考えた。これは「こころ」のようなものを考える際にも参考になるのではないか。「こころ」について議論する時も、この理性の働きのようなものを参考にできないだろうか。  こういう考えは大学教育のシステムに直接反映させることは出来ないにしても、入試の改革や学士課程教育の充実などの新しいシステムを探る上で有用だと私は思う。まず入試に関しては、6年ほど前から特徴的なAO入試を行ってきた。これは2日間かけて行うもので、1日目は日本語で同一テーマについての文系と理系の講義を聞いてレポートを書き、ディスカッションをする。2日目は英語での講義を聞いて、レポートを書く。非常にハードで倍率が高いが、受験生が口をそろえて言うのは「もう一度受けたい入試だ」「2日間で自分が成長したと感じられる」ということ。「試験だということを忘れるくらい楽しかった」、「大学で何を学ぶのかを知る良いきっかけになった」、という感想もある。これを6年行ってきて、平成29年度入試からは第2ステージの新しい入試を実施することになった。  まず、入試とは別に2日間のプレゼミナールというのがある。受験生だけでなく高校2年生や高校の教員も一緒に講義を受け、いろいろな議論をしながら、大学ではどのような事柄が学ばれるのかを感じ取ってもらう。受験生はプレゼミナールのレポート作成自体が第1次選考となる。その後の第2次選考は、3日間かけて行う。特徴は、それぞれの素養を量る必要もあって「文系」と「理系」に分けることだ。簡単に説明すると、文系は図書館に行ってテーマに基づいて調べ、報告して評価を得る。翌日はその評価に基づいてさらに調べるという形。理系は複数の領域の実験を実験室で行い、議論をしたり、レポートを出すというものだ。大学側にとっては著しく手間がかかるが、平成28年度には開始する予定になっている。  学士課程の教育も変えなければならない。お茶の水女子大学の複数プログラム選択履修制度は4年目になるが、その目的には、専門を深めることと専門に近い分野を学ぶということがあって、学生には多面的な問題を議論する場に身を置かせるようにしてきた。プログラム制の教育課程をどう選択させ評価するかということも重要で、そのための工夫や、学生一人ひとりが自分の履修段階やレベルを理解できるようなシステムも必要だ。これまで6年間、学長として大切にしている教育理念は「知識」と「見識」と「寛容」。知識や見識を養うには適切な判断が出来る能力が必要だけれども、「寛容」というのは、人にはさまざまな生き方や考え方があることについて、どれだけ理解ができるかが重要だということである。  このような教育システムについては、哲学を少しでも生かすことができたらと考えつつ取り組んできた。学生には多様な経験を持ち、そしてさまざまな思考のあり方を知ってもらうのが、大学の教育の中では極めて重要ではないかと思っている。そこで学んだ人々が社会に出て、社会のあり方をどう変えていけるかということが、大学に課せられた非常に大きな役割ではないか。