活動レポート

第23回有識者会議 基調講演:平野啓一郎さん(作家)

第23回BM ゲストスピーカー平野啓一郎氏 P1020791「こころを育む総合フォーラム」の第23回ブレックファスト・ミーティング(有識者会議)が10月22日朝、東京・千代田区のホテルグランドパレスで開かれた。今回のゲストスピーカーは、作家の平野啓一郎さん。「『個人主義』から『分人主義』へ」と題する基調報告を通して平野さんは、従来の「分割不可能なもの=個人」に対して「分割可能なもの=分人」という概念を提唱し、「個人とは、対人関係や関係空間ごとに分割されるさまざまな自分の集合である」という持論を説き、フォーラムのメンバー16人のうち出席した8人との間で盛んな質疑応答が交わされた。平野さんの報告要旨は次の通り。
「個人主義から分人主義へ」というタイトルをつけた。「分人主義」というのは、先般出版した小説『ドーン』の中で唱えた考え方で、今の人が生きていく上で使い勝手のいいような物の考え方を提示したいと思った。 2000年代になって、「他人」について考える二つの大きな契機があったと思う。一つは9.11、アメリカ同時多発テロで、あれは距離的に圧倒的に遠い他者の存在ということを実感させた。アメリカ人はみんな殺してもいいと信じている人たちと、どういう風に交渉していけばいいのか。もう一つは「ウェブ2.0」といわれるインターネット上の変化で、だれでもホームページやブログで簡単に意見などを公開できるようになった。そこで見えてきたのが他者の圧倒的な多様性というものだ。 まず9.11によって距離的にものすごく遠い他者、価値観がものすごく違っている他者が登場し、「ウェブ2.0」という現象によって他者の多様性、ものすごく細分化された他者の存在が目に見えてきた。距離的に遠い他者、圧倒的に多様な他者とうまくやっていくことができるのかという課題が生じた。 そもそも人間の個体は非常に多様であるという、生物学的な背景がある。単細胞生物は環境変化に弱いが、絶滅を回避するために進化を続けたため性別が登場し、交配を通じて多様な個体が生まれるようになった。人間というのは、そもそも個体の多様化を促すような形で生まれてきているという背景がある。 それから、社会的な背景もある。最初は「環節的分化社会」で、これは原始共同体のようにみんなが顔を見合わせて暮らす社会。コミュニケーションは対面が主になる。次に、もっと規模が大きくなってくると「階層的分化社会」。王様や貴族や平民などの階層によって身分が分かれていく社会で、宗教やイデオロギーがそれぞれの階層を結び合わせる価値観として存在する。さらに共同体の規模が大きくなってくると、それぞれの役目を社会の中で分担していかないといけなくなる。これが「機能的分化社会」で、近代というのは職業がそれぞれに分かれていって、その分業化した社会の中で同じ一つの時間を共有することでつなぎ合わせてきた。 この機能的分化社会を統一するのはマスメディアだと言われている。そこではイデオロギーや社会的価値観もそうだが、みんなが見る番組や報道を通じていろいろな情報が共有される。それによって社会の一体感が得られると言われている。我々は機能的に分化した社会の中でそれぞれの仕事を担っているわけで、就労時間が午後5時までとして5時まではバラバラで多様な仕事をしているが、5時以降は職業を問わずテレビやラジオや新聞などで共通の情報を得る。それによって、全く違う職業に従事している人たちもそれを話題としてコミュニケーションが可能になるわけだ。国の単位ぐらいの大きな規模になると、例えば流行の歌などは、マスメディアの情報によって共通の話題を得るという仕組みになっていたと思う。 ところが、インターネットの登場によって、就労時間中は機能的に分化している個人が今度は趣味的に分化していくことになる。趣味が違う他者同士は互いに無関心になっていく中で、どういう風にコミュニケーションを図っていくのかということが今、問題になりつつあるのではないかと見ている。 「コミュニケーションの困難」を克服するために対話のモデルということがよく提唱される。異なった価値観の人でも根気強く話し合い、合意を積み重ねながら社会をつくっていく方法で、基本的にはこのモデルはある程度有効だが、問題もある。社会的な背景や議論の能力に差がある場合(非対称性)、対話モデルでは解決しにくい場合があると思う。また、このインターネット時代、特に都市部では出自や環境の多様化によって、従来の「俺は俺」「私は私」というやり方ではコミュニケーションが成立しなくなっている。成立させるためには対人関係ごとに自分を分化せざるを得ないのだ。 心理学ではよく、「本当の自分」が仮面(ペルソナ)を社会的に使い分けていってコミュニケーションを取るということが言われるが、この仮面というモデルはコミュニケーションをどうしても表面的なものにしてしまうと思う。 そこで、まず個人を表す「individual」という英語を考えた。これは「divide(分ける)」という単語に否定の接頭辞「in」が付いてできた「分割できないもの」が語源になっている。これに対して、「in」という部分を取って「divide」できる、分けられるという発想で「個人」ではなく「分人」という考え方を小説『ドーン』で提唱した。そして「individualism(個人主義)」に対して「dividualism(分人主義)」という言葉を作った。これは対人関係ごと、あるいはどういう場所にいるかという相手と関係する空間ごと、場所ごとに自然と分化してくる自分を肯定的にとらえようという発想だ。 つまり、他者とどうやって共存していくかということを考えた時に、まず人間というのは必ず相手がいて、相手に向けて何を語るか、相手に向かってどう振る舞うかということによって成長もしていくし、あるいは自分の中でいろいろな考えが芽生えてくるということで、「分人」=分化した人格というのは必ず他者を必要とする。この「他者の必要性」が一つ重要な点だと考えている。 口の達者な人が口下手な人と議論をすると、口の達者な人が勝ってしまう。他者に対して暴力的に接しないためにはどうしたらいいかということが考察されて、「自分の意見をあまり真に受けてくれるな」というような考え方があった。それは、発言が個人という「individual」な存在にクサビのように打ち込まれて深く浸透していくということを考えると、その影響力をコントロールして暴力的にならないような配慮が働くからだが、それをやると結局、真剣な議論は成立しなくなる。 しかし「僕と会っている時の相手は、ある人格=分人というのを生きている。別の人と会っている時、その人はまた別の分人を生きている」と考える。自分が相手に向かって語ることも、彼はそれをindividualなところで引き受ける前に、僕の分人というdividualなところにとどめて、それをまたほかの人の分人を通じて検証するというワンクッションができるわけだ。例えば学校や職場で嫌なことを言われた時、自分の全人格的な問題だとは考えず対人関係の問題として捉え直すと会社での自分、家での自分という風に相対化していける。仮面というモデルは表層的だが、対人関係によって自分の人格は分化されると考えれば、生きる上でどの分人をベースにするべきかという選択ができる。必然的に多様な他者とうまくやっていける人格は分化せざるを得ないと思うのだ。 今、30代の自殺者が多いという。前作『決壊』の中で、人間は世の中と自分自身のどちらかが好きなら生きていけると書いた。どちらも好きなのが一番いいだろうが、自分を愛しなさいといってもなかなか難しい人もいる。しかし、いろいろな関係の中で自分は分化していると分かっていれば「だれといる時の自分が好きか」ということは言えるのではないか。 ある状況の中で苦しんでいる人が、それを全人格的に引き受けてしまうのではなく、対人関係の産物としての人格なんだという発想で、うまく対処していけるのではないかと思う。「分人主義」という言葉には、そういう実際の役に立つような思想という意味が込められている。